2023年11月27日月曜日

在原業平(ありわらのなりひら)とは

 在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。

六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。

業平は、825年(天長2年)に生まれ、880年(天応2年)に亡くなった。

業平は、皇族に生まれながらも、朝廷役人としては不遇で、そのため風流に明け暮れました。その一方で、和歌の名手として知られ、小倉百人一首にも「ちはやぶる神代も聞かず竜田川瀬にひきたつ千尋の滝の音も」という歌が収められています。

業平は、恋愛の歌を得意とし、多くの女性と関係を持っていたとされています。その中でも、藤原高子(高陽院)や伊勢の白河上皇の娘・伊勢の斎宮(斎宮)との関係は有名です。

業平の生き方は、当時の貴族社会の風潮を反映したものであり、また、彼の和歌は、当時の恋愛観や美意識を反映したものとして、現代でも多くの人々に親しまれています。

業平の代表的な歌としては、以下のようなものがあります。

  • ちはやぶる神代も聞かず竜田川瀬にひきたつ千尋の滝の音も
  • 秋風の吹く時ぞなつかしきもの思ひ出づる心を慰めむと
  • いかにせむとためらふ身は花の色に添ひてなほ変はらむ

業平は、日本の古典文学において、重要な人物の一人です。彼の歌や人生は、今なお多くの人々に影響を与え続けています。

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