二宮尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期の農政家、思想家です。
1787年(天明7年)に下総国足柄上郡小田原藩領の農家に生まれました。幼い頃から学問に励み、儒学や数学、土木建築技術などを修めました。
20歳の頃、小田原藩家老の服部家に仕官しました。服部家は財政難に陥っていたため、尊徳は用水路の整備や荒地の開墾など、農村復興のための施策を実施しました。
これらの施策は、農民の生活を向上させ、藩の財政難を解消することに成功しました。尊徳は、これらの施策を「報徳仕法」と名付けました。
尊徳は、報徳仕法の考えを全国に広めるために、全国各地を巡回しました。その活動は、多くの藩や農民に影響を与え、農村復興の模範となりました。
尊徳は、1856年(安政3年)に70歳で亡くなりました。尊徳の思想は、明治維新後の近代化にも影響を与えました。
尊徳の思想の特徴は、以下のとおりです。
- 報徳思想
「報徳思想」とは、万物にはすべて良い点(徳)があり、それを活用する(報いる)ことが大切であるという思想です。尊徳は、この思想に基づいて、農村復興のための施策を実施しました。
- 実学
尊徳は、学問は実践に役立つものでなければならないと考えていました。そのため、報徳仕法は、農民の生活を向上させるための実践的な施策でした。
- 人格尊重
尊徳は、すべての人間は尊い存在であり、平等であると考えていました。そのため、報徳仕法は、農民や貧しい人々を重視する思想に基づいていました。
二宮尊徳は、日本の近代化に大きな影響を与えた人物です。その思想は、現代においても、多くの人々に影響を与え続けています。