野内与吉氏の村の発展への具体的な寄与は以下の通りです。
1. マチュピチュ村への定住と開拓の先駆者
野内与吉氏は1917年にペルーに移民し、様々な職を経て、1923年頃からペルー国鉄のクスコ~サンタ・アナ鉄道の建設事業に携わりました。この鉄道はマチュピチュ遺跡の麓を通る重要な路線であり、その工事をきっかけに、彼は当時の未開の集落であった現在のマチュピチュ村周辺に定住しました。
当時のマチュピチュ村周辺は密林に覆われたほとんど人の住んでいない場所でした。野内氏は、この地に住み着き、自ら木々を切り拓き、土地を整備し、畑を作りました。まさに、村の基礎となる環境をゼロから作り上げた先駆者としての役割を果たしました。
2. インフラ整備への貢献
- 水路の整備: 村人が川に水を汲みに行っていた重労働を軽減するため、山腹の湧き水から村へ水路を引きました。これにより、村人たちは清潔な水に容易にアクセスできるようになり、生活の質が大きく向上しました。
- 道路の整備: 密林を開拓し、生活や物資の運搬に必要な道路を整備しました。これは村の居住地の拡大と、外部との交通の便を向上させる上で不可欠なものでした。
3. 村の中心となる施設の提供
野内氏は、1935年頃にマチュピチュ村で唯一のホテル「ホテル・ノウチ」を開業しました。このホテルは、村の発展において極めて重要な役割を担いました。
- 行政機関の誘致と無償提供: ホテルの1階部分を郵便局や交番として無償で貸し出し、その後、2階部分も村長室や裁判所として村のために提供しました。これにより、「ホテル・ノウチ」は単なる宿泊施設に留まらず、村の行政の中心としての機能を果たすようになり、村の集落としての機能を強化し、発展を加速させました。
- コミュニケーションと交流の拠点: ホテルは、住民や鉄道関係者、そして後に訪れるようになる観光客にとっての交流の場となり、村のコミュニティ形成に貢献しました。
4. 地域社会への献身とリーダーシップ
野内氏は、スペイン語だけでなく、先住民の言語であるケチュア語にも堪能であり、現地の人々とのコミュニケーションを円滑に行いました。その献身的な姿勢と貢献が認められ、地域住民からの深い信頼を得ました。
- 初代村長への就任: 1939年にはマチュピチュ集落の行政最高責任者である行政官に任命され、さらに1948年には、村が大災害(土砂崩れ)に見舞われた際の復興のため、マチュピチュ村の初代村長に任命されました。彼は村長として、村の復興と発展に尽力しました。
- 公証人、民事仲裁人、判事としての役割: 行政官や村長だけでなく、公証人や民事仲裁人を兼務する判事の役職にも就き、村の秩序維持や住民間の紛争解決にも貢献しました。
5. 観光地としての礎
マチュピチュ遺跡が世界的に有名になる以前から、野内氏はその麓で村の基盤を築きました。彼の整備したインフラや開設したホテルは、後に多くの観光客が訪れるようになるマチュピチュ村の観光拠点としての礎となりました。
まとめ
野内与吉氏は、単なる移民としてペルーに渡っただけでなく、未開の地に定住し、自らの手で密林を開拓し、水路や道路といったインフラを整備しました。さらに、自身のホテルを行政機関に提供することで、村の機能とコミュニティの核を築き上げ、最終的には初代村長として村の発展と復興に尽力しました。
彼の功績は、マチュピチュ村が今日のような世界的な観光地となるための重要な土台を築いたものであり、2015年には彼の故郷である福島県大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を結ぶなど、その功績は今なお日本とペルーの絆として語り継がれています。