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2025年8月24日日曜日

禅の語録「這裏」とは、具体的に解説してください

 「這裏(しゃり)」は、禅語で**「ここ」「この場所」「このうち」を意味します。しかし、単に物理的な場所を指すのではなく、「自己の内面」や「今この瞬間」**といった、より深い意味合いで使われます。

具体的な意味と使い方

禅において、悟りや真理は遠い彼方にあるのではなく、自分自身の足元や心の中に存在すると考えられています。この思想を表現する際に、「這裏」という言葉が用いられます。

1. 自己の内面

「這裏」は、人が持つ本来の純粋な心、つまり仏心(ぶっしん)や仏性(ぶっしょう)を指します。悟りを求める修行者は、外に真理を求めるのではなく、「這裏」、すなわち自分自身の心の中にそれを探すべきである、という教えを伝える際に使われます。

2. 今この瞬間

「這裏」はまた、「今、この瞬間、この場」を指し、過去や未来にとらわれず、現在の自己に集中することの重要性を示唆します。禅の修行では、坐禅や日常の行いを通じて、意識を「這裏」に集中させることが求められます。

3. 例文

有名な禅語に「慧玄が這裏に生死なし」という言葉があります。これは、妙心寺の開祖である関山慧玄(かんざんえげん)禅師の言葉とされ、「慧玄が達した悟りの境地においては、生と死という二元的な概念は存在しない」という意味です。つまり、生死という束縛を超越した自由な境地が、慧玄の「這裏」(彼の内面)にあることを示しています。

「這裏」は、場所や状況を指す言葉でありながら、同時に悟りの境地そのものや、その境地に至るための自己の内面を指す、深遠な禅語と言えます。

2024年1月5日金曜日

禅にあることば「閑古錐(かんこすい)」とは

 禅にあることば「閑古錐(かんこすい)」とは、使い古されて先が丸くなった錐(きり)のことです。禅では、この「閑古錐」を、真の修行者のたとえとして用います。

錐は、木や石を削るために使われる道具です。しかし、使い古されて先が丸くなってしまうと、木や石を削ることができなくなります。しかし、この「閑古錐」は、先が丸くなったことで、人を傷つけることもなくなり、静かに落ち着いた姿になります。

禅では、この「閑古錐」のように、修行を積んで、一切の執着や煩悩を捨て去り、静かに落ち着いた境地に至った人を真の修行者として称えます。

具体的には、以下のようなものを意味します。

  • 修行によって、一切の執着や煩悩を捨て去り、心が静かに落ち着いた境地に至った人。
  • 修行によって、智慧や悟りを得た人。
  • 修行によって、自らの本性や真理を悟った人。

また、転じて、以下のような意味も含みます。

  • 経験豊富で、物事に動じない人。
  • 物事にこだわらず、自由に生きる人。
  • 物事を冷静に見つめ、判断できる人。

「閑古錐」という言葉は、禅の教えを理解する上で重要な言葉です。