「管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)」とは、深い相互理解と絶対的な信頼で結ばれた、生涯変わることのない友情を意味する故事成語です。
由来
この言葉は、古代中国の春秋時代に、斉の国に生きた**管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)**という二人の人物の物語に由来します。彼らは幼い頃からの親友で、互いの性格や境遇を深く理解し合っていました。
具体的なエピソード
二人の友情の深さは、以下のエピソードによく表れています。
事業でのエピソード:
二人が共同で事業を始めた際、管仲は常に利益を多く取っていました。しかし、鮑叔牙はそれを非難することはありませんでした。彼は、管仲が家が貧しく、家族を養うために多くのお金が必要であることを知っていたからです。
仕官でのエピソード:
二人はそれぞれ別の主人に仕えていました。管仲は公子糾(こうしきゅう)に、鮑叔牙は公子小白(こうしはく、後の桓公)に仕えます。内乱が起きると、二人の主君は敵対関係になります。管仲は自分の主君のために、小白を暗殺しようとまでしました。結果的に公子小白が勝利し、斉の君主(桓公)となります。
鮑叔牙の推薦:
桓公となった小白は、自分を殺そうとした管仲を憎み、処刑しようとします。しかし、鮑叔牙は主君に対し「天下を治める大業を成し遂げたいのであれば、管仲を登用するべきです。私は及ばない」と進言しました。彼は、自分の地位を犠牲にしてでも、管仲の才能こそが国に必要だと信じていたのです。
この鮑叔牙の推薦によって、管仲は処刑を免れ、桓公の宰相(宰相)に任命されました。管仲の優れた政治手腕により、斉は春秋五覇の一国にまで成長しました。
鮑叔牙は、人々から「管仲を知る者は、鮑叔牙なり」と称えられました。管仲もまた、「私を生んだのは父母だが、私を真に知ってくれたのは鮑叔牙である」と語ったとされています。
この故事から、「管鮑の交わり」は、互いの欠点や失敗をも受け入れ、才能を認め合い、自己の利害を超えて相手の成功を心から願う、深い友情の象徴として語り継がれています。