2025年10月24日金曜日

輪島塗の製作工程

 輪島塗の製作工程は、大きく「木地」「下地」「上塗」「加飾」の4つに分かれており、それぞれ高度な専門技術を持つ職人たちの分業制によって、124にも及ぶとも言われる長い時間をかけて完成します。

特に下地工程で「地の粉(じのこ)」を用いること、そして「布着せ(ぬのきせ)」による補強を行うことが、輪島塗の最大の特徴である堅牢さを生み出しています。

以下に、主要な工程を具体的に解説します。


1. 木地(きじ)工程

漆器の土台となる木の部分を作る工程です。

  • 原木乾燥・製材:

    伐採した原木(アテ、ケヤキ、ヒノキなど)を、まず数年間かけてしっかりと自然乾燥させます。狂いが生じないよう、時間と手間をかけます。

  • 荒削り・成形:

    乾燥させた木材を、製品の形に合わせて荒削りし、さらに乾燥を挟んでから、カンナやノミ、小刀など専用の道具を使い分けて、少しずつ正確に削り出し、美しい形に成形します。

  • 組立て:

    部品を組み合わせ、漆と米糊を混ぜた「刻苧(こくそ)漆」などで接着します。

2. 下地(したじ)工程

木地を補強し、堅牢な漆器の土台を作る、輪島塗にとって最も重要な工程です。この工程に手間をかけることで、輪島塗は「丈夫で長持ちする」という特徴を持ちます。

  • 木地固め(きじがため):

    木地全体に生漆(きうるし)を刷毛で塗り込み、木地に吸い込ませて固め、腐敗を防ぎ、強度を高めます。

  • 布着せ(ぬのきせ):

    お椀の縁や高台など、特に欠けやすい部分や強度が不足している箇所に、麻布や寒冷紗(かんれいしゃ)を漆で貼り付けて補強します。これも輪島塗ならではの技法です。

  • 惣身(そうみ)地付け(地の粉地付け):

    輪島塗の核となる工程です。珪藻土を焼いて砕いた「地の粉(じのこ)」(珪藻土は輪島特産)と生漆、米糊を混ぜたものを塗り込みます。

    この作業は「一辺地(いっぺんじ)」「二辺地(にへんじ)」「三辺地(さんへんじ)」と、塗り、乾燥、研ぎを繰り返す3段階で行われ、木地を分厚く、強固にしていきます。

  • 研ぎ:

    塗った下地を砥石や研ぎ炭で水研ぎし、表面を平滑に整えます。

3. 中塗・上塗(なかぬり・うわぬり)工程

  • 中塗(なかぬり):

    下地と上塗りの接着を良くし、また下地層をさらに堅く締めるために、精製された中塗漆を塗ります。

  • 上塗(うわぬり):

    漆器の最終的な色と艶を決定する仕上げの塗装です。

    ホコリや塵を徹底的に排除した「塗師風呂(ぬしぶろ)」と呼ばれる湿度の高い部屋で、熟練の職人が「上塗漆」をムラなく均一に塗り上げます。上塗りの美しさが職人の腕の見せ所となります。

4. 加飾(かしょく)工程

上塗りされた器に装飾を施す工程です。代表的な技法は以下の2つです。

  • 沈金(ちんきん):

    沈金師(ちんきんし)が、塗り上がった漆の表面を、鋭利なノミを使って文様や絵柄を彫り込みます。その溝に生漆を塗り、金箔や金粉を押し込んで定着させます。一度彫るとやり直しがきかない、高い集中力と技術を要する技法です。

  • 蒔絵(まきえ):

    蒔絵師(まきえし)が、漆をつけた筆で器に文様を描き、その漆が乾かないうちに金粉や銀粉などを「蒔き筒」という道具で蒔きつけて装飾を施します。螺鈿(らでん)のように貝殻を埋め込む技法も含まれます。

呂色(ろいろ)

加飾後に、塗面を研ぎ、生漆を摺り込む作業を繰り返すことで、漆本来の深く艶やかな光沢(鏡のような透明感)を引き出す、研磨の仕上げ技法です。

これらの工程を経て、輪島塗は完成に至ります。全ての工程に専門の職人が関わり、長いものでは1年以上の時間をかけて一本の漆器が生まれます。

BLMとは

 BLMは、「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」の略で、主にアメリカ合衆国で始まった、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別や暴力の撤廃を訴える国際的な社会運動の総称です。

「黒人の命は大切だ」「黒人の命も大切だ」といった意味合いで訳されます。

特に、警官による黒人への暴力や殺害、犯罪者に対する人種による不平等な扱いへの抗議を主な目的としています。2012年の事件をきっかけに始まり、特に2020年のジョージ・フロイド氏の死亡事件を機に世界的に大きく広がりを見せました。

アフリカ人自身による奴隷制や奴隷貿易への関与について

 ご認識の通り、アフリカの歴史において、アフリカ人自身による奴隷制や奴隷貿易への関与は、大西洋奴隷貿易が始まる以前から存在しており、無視できない重要な事実です。

特に、マリ王国やソンガイ王国のような西アフリカの強力な黒人帝国は、その交易ネットワークの中で奴隷を重要な商品として扱っていました。


奴隷貿易におけるアフリカ内陸帝国の役割

1. サハラ縦断貿易とイスラーム世界への奴隷供給

マリ王国やソンガイ王国といった西アフリカの大帝国は、サハラ縦断貿易によって栄えました。この貿易の主要な商品には「黄金」と並んで「奴隷」が含まれていました。

  • 時期とルート: 大西洋奴隷貿易(15世紀以降)よりも遥かに古い時代から、サハラ砂漠を越えて北アフリカのイスラーム世界(マグレブ地方など)に奴隷を供給していました。

  • 奴隷の入手源:

    • 戦争捕虜: 敵対する部族や勢力との戦争で捕らえた人々が主な供給源でした。

    • 貢納: 支配下の周辺部族に、貢ぎ物として奴隷を要求することもありました。

    • アフリカ内部の奴隷制: アフリカの多くの社会には、負債者、犯罪者、戦争捕虜などを一時的・あるいは永続的に「家内奴隷」として扱う伝統的な奴隷制度が存在していました。

  • 「黒人による黒人の売買」の構造: これらの帝国の支配者は黒人でしたが、彼らが売却した奴隷もまた黒人(多くは異なる部族や民族)でした。これは、当時の奴隷が**人種ではなく、部族・民族間の征服や法的な地位(戦争捕虜など)**に基づいて発生していたためです。

2. マリ王国とソンガイ王国(黒人帝国)

帝国名時代特徴と奴隷貿易との関わり
マリ王国 (Mali Empire)13世紀〜17世紀マンサ・ムーサの時代が有名。交易により栄え、西アフリカの黄金と奴隷を北アフリカやエジプトなどのイスラーム世界に運ぶサハラ縦断貿易の中心でした。
ソンガイ王国 (Songhai Empire)15世紀〜16世紀マリ王国を継いで西アフリカ最大の帝国となり、イスラーム学問の中心地トンブクトゥを擁しました。マリ同様、サハラ縦断貿易を支配し、奴隷はその重要な取引品目でした。

3. 大西洋奴隷貿易への関与

15世紀にポルトガルが大西洋岸に進出し、大西洋奴隷貿易が始まると、アフリカの沿岸部では、ヨーロッパの商人との間で新たな形の貿易が展開されます。

  • アフリカの現地勢力: ヨーロッパ人は当初、映画などで描かれるような大規模な奴隷狩りを自ら行うことはほとんどありませんでした。代わりに、現地の有力な黒人権力者や商人が、内陸部で奴隷を調達し、ヨーロッパの商人に売却するという構造が確立しました。

    • ヨーロッパの商人は、銃器、布、アルコールなどの物資をアフリカ側に提供し、その見返りに奴隷を受け取りました(三角貿易の一辺)。

  • 奴隷の供給の激化: ヨーロッパからの需要が爆発的に高まると、奴隷は戦争捕虜だけでなく、**部族間の襲撃(奴隷狩り)**によって組織的に集められるようになり、アフリカ内部の紛争を激化させる原因となりました。

これらの事実は、奴隷貿易の歴史を論じる上で、その複雑な構造と、関与した主体が多岐にわたることを理解する上で非常に重要です。


このYouTube動画は、アフリカのゴレ島にある奴隷の家(メゾン・デ・エスカーブ)を紹介しており、大西洋奴隷貿易の悲劇的な歴史を伝えています。

奴隷貿易の拠点となった悲劇の地!セネガルの負の世界遺産「ゴレ島」