ご認識の通り、アフリカの歴史において、アフリカ人自身による奴隷制や奴隷貿易への関与は、大西洋奴隷貿易が始まる以前から存在しており、無視できない重要な事実です。
特に、マリ王国やソンガイ王国のような西アフリカの強力な黒人帝国は、その交易ネットワークの中で奴隷を重要な商品として扱っていました。
奴隷貿易におけるアフリカ内陸帝国の役割
1. サハラ縦断貿易とイスラーム世界への奴隷供給
マリ王国やソンガイ王国といった西アフリカの大帝国は、サハラ縦断貿易によって栄えました。この貿易の主要な商品には「黄金」と並んで「奴隷」が含まれていました。
時期とルート: 大西洋奴隷貿易(15世紀以降)よりも遥かに古い時代から、サハラ砂漠を越えて北アフリカのイスラーム世界(マグレブ地方など)に奴隷を供給していました。
奴隷の入手源:
戦争捕虜: 敵対する部族や勢力との戦争で捕らえた人々が主な供給源でした。
貢納: 支配下の周辺部族に、貢ぎ物として奴隷を要求することもありました。
アフリカ内部の奴隷制: アフリカの多くの社会には、負債者、犯罪者、戦争捕虜などを一時的・あるいは永続的に「家内奴隷」として扱う伝統的な奴隷制度が存在していました。
「黒人による黒人の売買」の構造: これらの帝国の支配者は黒人でしたが、彼らが売却した奴隷もまた黒人(多くは異なる部族や民族)でした。これは、当時の奴隷が**人種ではなく、部族・民族間の征服や法的な地位(戦争捕虜など)**に基づいて発生していたためです。
2. マリ王国とソンガイ王国(黒人帝国)
| 帝国名 | 時代 | 特徴と奴隷貿易との関わり |
| マリ王国 (Mali Empire) | 13世紀〜17世紀 | マンサ・ムーサの時代が有名。交易により栄え、西アフリカの黄金と奴隷を北アフリカやエジプトなどのイスラーム世界に運ぶサハラ縦断貿易の中心でした。 |
| ソンガイ王国 (Songhai Empire) | 15世紀〜16世紀 | マリ王国を継いで西アフリカ最大の帝国となり、イスラーム学問の中心地トンブクトゥを擁しました。マリ同様、サハラ縦断貿易を支配し、奴隷はその重要な取引品目でした。 |
3. 大西洋奴隷貿易への関与
15世紀にポルトガルが大西洋岸に進出し、大西洋奴隷貿易が始まると、アフリカの沿岸部では、ヨーロッパの商人との間で新たな形の貿易が展開されます。
アフリカの現地勢力: ヨーロッパ人は当初、映画などで描かれるような大規模な奴隷狩りを自ら行うことはほとんどありませんでした。代わりに、現地の有力な黒人権力者や商人が、内陸部で奴隷を調達し、ヨーロッパの商人に売却するという構造が確立しました。
ヨーロッパの商人は、銃器、布、アルコールなどの物資をアフリカ側に提供し、その見返りに奴隷を受け取りました(三角貿易の一辺)。
奴隷の供給の激化: ヨーロッパからの需要が爆発的に高まると、奴隷は戦争捕虜だけでなく、**部族間の襲撃(奴隷狩り)**によって組織的に集められるようになり、アフリカ内部の紛争を激化させる原因となりました。
これらの事実は、奴隷貿易の歴史を論じる上で、その複雑な構造と、関与した主体が多岐にわたることを理解する上で非常に重要です。
このYouTube動画は、アフリカのゴレ島にある奴隷の家(メゾン・デ・エスカーブ)を紹介しており、大西洋奴隷貿易の悲劇的な歴史を伝えています。
奴隷貿易の拠点となった悲劇の地!セネガルの負の世界遺産「ゴレ島」
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