2025年6月4日水曜日

ラジオ放送が始まってちょうど100年です。 このラジオ放送の歴史について。 主なところを具体的に解説してください。

 日本のラジオ放送は、今からちょうど100年前の1925年(大正14年)に始まりました。その歴史を主な出来事を交えて具体的に見ていきましょう。

ラジオ放送の黎明期(1920年代~1930年代前半)

  • 世界初の実用的なラジオ放送: 1906年、カナダの発明家レジナルド・フェッセンデンが世界初の音声放送に成功し、1920年にはアメリカのKDKA局が世界初の商業ラジオ放送を開始しました。このニュースは世界中に広まり、日本でもラジオ放送への期待が高まります。
  • 日本での放送開始(1925年):
    • 関東大震災(1923年)での情報伝達の重要性が再認識されたこともあり、日本でもラジオ放送の導入が急務となります。
    • 1925年3月22日、東京の芝浦にあった東京高等工藝学校の図書室を仮放送所として、社団法人東京放送局(現NHK)が「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」という第一声を発信し、日本のラジオ放送が始まりました。この日は「放送記念日」とされています。
    • 当初は試験放送という名目でしたが、同年7月12日には芝・愛宕山に本局舎が竣工し、本放送を開始しました。
    • その後、大阪放送局(5月)、名古屋放送局(7月)も開局し、主要都市でラジオ放送が始まりました。
  • 日本放送協会の設立(1926年): 東京、大阪、名古屋の3つの放送局が統合され、社団法人日本放送協会が誕生しました。これにより、日本の公共放送の基礎が築かれました。
  • 聴取者の増加と番組の多様化: ラジオ受信機は徐々に普及し、野球などのスポーツ中継や音楽、講演など様々な番組が放送され、国民の娯楽の中心となっていきました。1925年には日本初のスタジオ外中継放送として、名古屋放送局が天長節祝賀式の様子を実況しています。

戦時下のラジオ(1930年代後半~1945年)

  • 情報統制とプロパガンダ: 戦争が激化するにつれて、ラジオは政府による情報統制とプロパガンダの重要な手段となっていきます。大本営発表などが放送され、国民の戦意高揚に利用されました。
  • 「国民的受信機」の普及: ラジオは緊急時の情報伝達手段としても重要視され、安価な「国民的受信機」が開発・普及されました。

戦後復興と民放の登場(1945年~1950年代)

  • GHQによる放送改革: 終戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指導の下、放送は民主化され、言論の自由が保障されるようになりました。
  • 民間放送の開始(1951年): 1951年には、日本初の民間放送局である中部日本放送(現CBCラジオ)と新日本放送(現MBSラジオ)が開局し、多様な番組とCM放送が始まりました。これにより、放送の選択肢が広がり、競争が生まれることになります。
  • テレビ放送の開始(1953年): 1953年にはテレビ放送が開始され、メディアの主役は徐々にテレビへと移っていきます。しかし、ラジオは手軽に楽しめるメディアとして、独自の地位を確立していきます。

新しい挑戦と多様化の時代(1960年代以降)

  • FM放送の本格化: 音質の良いFM放送が普及し、音楽番組を中心に人気を集めます。
  • 深夜放送のブーム: 若者向けの深夜放送が人気を博し、パーソナリティがカリスマ的な存在となるなど、ラジオ独自の文化が花開きました。
  • AMステレオ放送・コミュニティFMの登場: 新しい技術の導入や、地域に密着したコミュニティFM局の開局など、ラジオは様々な形で進化を続けています。
  • インターネットラジオの登場と多様な聴取環境: 2000年代以降は、インターネットを利用したサイマル放送(radikoなど)やポッドキャストが登場し、場所や時間にとらわれずにラジオ番組を楽しめるようになりました。スマートフォンなどの普及により、ラジオの聴取環境はさらに多様化しています。

100年の歴史の中で、ラジオは情報伝達、娯楽、そして文化形成において重要な役割を果たしてきました。その形は時代とともに変化しながらも、今なお多くの人々に愛されるメディアとして存在し続けています。

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