2025年7月5日土曜日

二宮尊徳の生きた時代背景とその生涯と教え

 二宮尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期に活躍した農政家、思想家であり、幼名を金次郎(きんじろう)といいます。その生涯と教えは、現代にも通じる多くの知恵に満ちています。

二宮尊徳の生きた時代背景

二宮尊徳は、**1787年(天明7年)**に生まれ、**1856年(安政3年)**に亡くなりました。これは徳川幕府の後半期にあたり、幕末を12年後に控えた時代です。当時の日本は、以下のような状況にありました。

  • 天明の大飢饉と天保の大飢饉:尊徳は天明の大飢饉の最中に生まれ、天保の大飢饉を生き抜くなど、度重なる飢饉に見舞われた時代でした。特に、幼い頃に酒匂川の氾濫で家や田畑を失い、14歳で父、16歳で母を亡くし、一家離散という壮絶な苦難を経験しています。

  • 財政難と農村の疲弊:長期にわたる平和な江戸時代でしたが、各地の藩や村では財政難に苦しみ、農村は荒廃し、住民の生活は困窮していました。年貢の取り立てが厳しく、飢饉も相まって、人々は自暴自棄になり、勤労意欲を失いがちな状況でした。

  • 身分制度の時代:武士、農民、職人、商人という厳格な身分制度が存在し、農民が幕府直属の役人になることは異例中の異例でした。

このような厳しい時代背景の中で、二宮尊徳は独自の思想と実践で多くの人々の生活を立て直し、その才能を認められていきます。

二宮尊徳が行ったこと

二宮尊徳の功績は、「報徳思想」に基づいた「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼ばれる農村復興政策にあります。彼は約600もの村の財政再建を成し遂げ、その思想は後の日本の資本主義の発展にも大きな影響を与えました。

具体的な行動としては、以下のようなものがあります。

  • 生家の再興:幼くして両親を亡くし、一家離散の憂き目にあった尊徳ですが、20歳になると、質に入れた田畑を買い戻し、自らの才覚で田畑を小作に出したり、自らも武家奉公人として働きながら貯えを増やし、24歳で約1.4ヘクタールの農地を持つまでに再興に成功しました。これは、農作業だけでなく現金収入を重視したことが再興を早めたとされています。

  • 服部家の財政再建:小田原藩の家老であった服部家の財政立て直しを依頼され、収入を上回る支出をしないという徹底した倹約を実践しました。食事はご飯と汁物、破れた服は繕って使うなど、質素な生活を徹底しました。

  • 「五常講」の創設:服部家で働きながら、使用人同士が助け合うための金融制度である「五常講」を始めました。これは、互いに金を出し合い、困窮者が借りる制度で、金利も取り、参加者には儒教道徳の順守と確実な返済を求めました。これは現在の信用組合の原点とも言われています。

  • 桜町領の復興:小田原藩主大久保忠真(たださね)より、下野国(しもつけのくに)桜町領(現栃木県真岡市)の復興を依頼され、見事に成功させました。ここでは、村人たちが話し合いや投票で物事を決定する「芋こじ」という制度を導入し、村長を投票で決めたり、よく働く人を選んで表彰したりするなど、人々が村の問題を自分の問題として捉え、勤労意欲を芽生えさせる仕組みを築きました。

  • 不正の排除と公平な徴収:農民を困らせていた年貢徴収の不正をなくすため、正確に量れる枡を発明しました。また、飢饉の際には年貢を払わなくて良い制度も提案するなど、公平な制度を導入しました。

  • 全国各地での農村復興:その功績が認められ、幕府直属の役人となり、全国610カ所もの藩や郡村の財政再建を成し遂げました。晩年には日光神領の再建にも尽力しました。

人が人として生きていく知恵(報徳思想)

二宮尊徳の教えの根幹にあるのは、「道徳と経済の両立」を目指す「報徳思想」です。彼が説いた具体的な実践規範は、現代を生きる私たちにとっても示唆に富んでいます。

  1. 至誠(しせい):真心を持って物事を行うこと。どんな小さな仕事でも、誠意を持って取り組むことが大切であると説きました。

  2. 勤労(きんろう):懸命に働き、人や社会の役に立つこと。汗を流して働くことこそが、人としての務めであり、喜びであるとしました。

  3. 分度(ぶんど):自分の身分や収入に応じた生活をすること。収入を上回る支出をせず、倹約を心がけることの重要性を説きました。これは「入るを量りて出ずるを制す(収入を把握して支出を抑える)」という考え方にも通じます。

  4. 推譲(すいじょう):将来のために蓄え、それを自分だけでなく世のため人のために使うこと。今あるものを独り占めせず、分かち合い、将来の発展のために投資する「利他」の精神を重んじました。

これらの教えは、単なる精神論に留まらず、具体的な行動として実践されました。

  • 「この秋は雨か嵐か知らねども、今日の努めの田草取るなり」:この有名な歌は、未来がどうなるか分からない不安を抱えながらも、今、自分がなすべきこと(田の草取り)をひたすら努力し続けることの重要性を説いています。結果がどうであれ、目の前の努力を怠らない姿勢が、やがて来るべき未来を切り開くという知恵です。

  • 「人道は一日怠れば、たちまち廃れる」:日々の真摯な努力を怠らないことの教訓です。少しの油断が、積み重ねてきたものを台無しにすることを示唆しています。

  • 「人は一人では生きていけない、互いに助け合って生きるのが人間の道だ」:共助の精神を重視し、お互いに助け合うことで、困難を乗り越え、より良い社会を築けるという考えです。五常講の創設はその実践例です。

二宮尊徳の生涯は、度重なる苦難にもめげず、自らの知恵と努力で道を切り開き、多くの人々を救済した実践者の姿を示しています。彼の教えは、自己の努力と倹約を基本としつつも、社会全体での助け合いや未来への投資を重んじる、非常に現実的かつ倫理的なものです。現代の私たちにとっても、持続可能な社会を築き、豊かに生きていくための指針となるでしょう。

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