三重県津市にある「津偕楽公園(つかいらくこうえん)」(通称:偕楽公園・津公園)は、津駅からほど近い場所にあり、春の桜やツツジ、秋の紅葉の名所として市民に親しまれている歴史ある公園です。1963年(昭和38年)には津市の指定史跡名勝にも指定されています。
その歴史は江戸時代まで遡り、藩主のプライベートな場所から公共の公園へと形を変えてきた歩みがあります。時系列でその歴史を分かりやすく解説します。
1. 江戸時代:鷹狩り場から「御殿山」へ
もともとこの地は「下部田山(しもべたやま)」や「御殿山(ごてんやま)」と呼ばれていました。
藩主の鷹狩り場: 江戸時代初期、津藩(藤堂家)の歴代藩主が鷹狩りを楽しむ場所であり、休憩用を兼ねた立派な御殿が建てられていました。
藩士への分与: 承応年間(1652〜1655年)頃、当時の藩主(2代・藤堂高次)が日頃の藩士たちの労苦をねぎらうため、この土地を分け与えたという記録が残っています。
2. 幕末(1859年):「御山荘」と「偕楽園」の誕生
現在の公園の直接のルーツとなる庭園が造られたのは幕末のことです。
藤堂高猷による造営: 1859年(安政6年)、津藩の第11代藩主・藤堂高猷(とうどう たかゆき)が、家臣から再びこの土地を買い上げ、自然の起伏や谷の趣をそのまま生かした大規模な別荘を構えました。当時は「御山荘(ござんそう)」や「御山荘山」と呼ばれていました。
名前の由来: 別荘内の建物に「偕楽園」の扁額(へんがく)が掲げられたことが、現在の名前の由来です。これには中国の古典にちなみ「人々が偕(とも)に楽しむ」という意味が込められており、高猷自身の俳号でもありました。池や橋、岩を巧みに配した美しい「回遊式庭園」がこの時に整えられました。
3. 明治時代:公共の「三重県公園」へ
明治維新を迎え、廃藩置県が行われると土地は一度国有化され、一時期は荒廃してしまいます。
近代公園としての再出発: 1877年(明治10年)、時代の流れとともに市民の手によって整備し直され、「三重県公園」(通称・津公園)として生まれ変わりました。一部の特権階級のものであった庭園が、広く一般に開放された瞬間です。
大盛況の博覧会: 1907年(明治40年)には、この公園を会場に「第9回関西府県連合共進会」(小規模な博覧会のようなもの)が開催されました。4月からの60日間に、なんと約78万人もの見物客が訪れ、大変な賑わいを見せたといわれています。
4. 大正から現代:市民の憩いの場と文化の拠点
その後、公園は三重県から津市へと移管され、現在の「津偕楽公園」となりました。
桜とツツジの名所: 園内には約950本のソメイヨシノが植えられており、現在も津地方気象台の「桜と梅の開花標準木(標本木)」がここに設置されています。また、古くからミツバツツジ(紫つつじ)の名所としても有名です。
文化の跡地と機関車の保存: かつては敷地内に三重県立図書館や三重県立博物館(現在のMieMuへ移転)があり、地域の文化拠点でもありました。現在は、かつて関西線や紀勢線で活躍した国鉄の蒸気機関車「D51形(デゴイチ・499号機)」が静態保存されており、鉄道ファンや子どもたちの人気スポットになっています。
周辺の歴史スポット
公園の道路を挟んだ東側には「三重縣護國神社」が鎮座しており、公園一帯が津市の歴史と自然を感じられる象徴的なエリアとなっています。