松尾芭蕉の「旅にやんで 夢は枯野を かけ廻る」は、彼の生涯を象徴し、辞世の句(この世を去る直前に詠んだ句)として非常に有名です。この句の深い意味を、句ごとに詳しく解説します。
句の構成と基本的な意味
まず、この句の文字通りの意味は以下の通りです。
旅の途中で病に倒れてしまった。
しかし、私の魂(夢)は、荒涼とした枯れ野を駆け回っている。
この句の核心は、**「肉体の制約」と「精神の自由」**という鮮烈な対比にあります。
句ごとの詳しい解説
1. 「旅にやんで」(たびにやんで)
文字通りの意味: 旅の途中で病気にかかり、体が動かなくなってしまった。
深い意味: ここでの「旅」は、単なる移動ではなく、芭蕉の人生そのものを指しています。芭蕉にとって、旅は生涯をかけて追求した生き方であり、文学的探求の場でした。「旅にやんで」という言葉は、人生の旅路が終わりを迎え、肉体的な活動が停止したことを示しています。身体は動けなくなってしまったという、現実の厳しさが凝縮された五文字です。
2. 「夢は枯野を」(ゆめはかれのを)
文字通りの意味: 夢の中で、枯れ野を。
深い意味:
「夢」: これは睡眠中に見る夢だけでなく、芭蕉の魂、精神、あるいは詩人としての尽きることのない旅への情熱を意味しています。肉体は終わっても、その精神は死んでいないという強い意志が込められています。
「枯野」: 秋の終わりから冬にかけての、草木が枯れ果てた荒涼とした野原のことです。この季語は、死、終焉、人生の終わりを象徴しています。同時に、そこには俗世の喧騒から離れた、静謐で澄み切った美しさも含まれています。この「枯野」は、死後の世界や、芭蕉の詩的理想を象徴する場所とも解釈できます。
3. 「かけ廻る」(かけめぐる)
文字通りの意味: 走り回る。
深い意味: この「かけ廻る」という言葉こそ、この句に生命を与える最も重要な部分です。病に倒れ、身動きがとれない「やんで」いる肉体とは裏腹に、精神は力強く、活動的である様子を表現しています。
「旅にやんで」で静止した肉体に対し、「かけ廻る」という躍動的な動詞を使うことで、肉体と精神の激しい対比が生まれています。
この句は、身体の限界を超えてなお、旅を続けたいという芭蕉の強い願いと、詩人としての情熱が永遠に尽きることがないことを示しています。
まとめ
この句は、単に病気のつらさを詠んだものではありません。
旅という生き方を全うした詩人が、肉体の死を目前にして、なおその魂は自由であり続けたいと願う姿を鮮やかに描いています。病に倒れた自分の肉体を客観視しつつ、詩人としての魂の永遠性を静かに確信している、芭蕉の人生観と美学が凝縮された傑作です。
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