江戸版と京都(上方)版は、それぞれ地域独自の文化や価値観を反映しているため、大部分が異なります。しかし、中には全く同じことわざや、ほぼ同じ意味のものもいくつか存在します。
主な共通・類似点は以下の通りです。
1. 全く同じもの(文字もことわざも一致)
江戸版と京都版で、文字とことわざが完全に一致しているのは以下の4枚です。
| 文字 | ことわざ | 意味の概要 |
| の | 喉元過ぎれば熱さを忘れる | 苦しいことも過ぎ去ればその恩や教訓を忘れる。 |
| く | 臭いものに蓋をする | 都合の悪いことを一時的に隠して取り繕う。 |
| み | 身から出た錆 | 自分の悪い行いによって、自分自身が苦しむこと。 |
| き | 聞いて極楽見て地獄 | 話に聞くのと実際に見るのでは大きな違いがある。 |
2. 内容・意味がほぼ同じもの
文字が異なっていたり、言い回しが少し違ったりしますが、同じ教訓を伝えているものです。
| 内容・意味 | 江戸版 | 京都版 |
| 努力の積み重ね | ち:塵も積もれば山となる | も:門前の小僧習わぬ経を読む |
| 身の丈に合う | わ:割れ鍋に綴じ蓋 | り:律義者の子沢山(※誠実さの肯定) |
| 痩せ我慢 | ふ:武士は食わねど高楊枝 | ふ:武士は食わねど高楊枝(※共通) |
| 因果応報 | ら:楽あれば苦あり | ま:待てば海路の日和あり(※忍耐の肯定) |
[!NOTE]
「武士は食わねど高楊枝」については、京都版でも「ふ」の札として採用されている資料が多く、江戸・京都共通の代表的なことわざと言えます。
3. 文字は同じだが「意味」が対照的なもの
同じ文字から始まりますが、江戸と京都で全く異なるアプローチをとっている面白い例です。
「い」の札
江戸:犬も歩けば棒に当たる(行動すれば良いこと・悪いことがある)
京都:一寸先は闇(未来は何が起こるか分からず恐ろしい)
「ろ」の札
江戸:論より証拠(理屈より事実が大事)
京都:論語読みの論語知らず(知識があっても実践できない)
江戸版は「具体的で前向き、あるいは皮肉」、京都版は「仏教的、内省的、あるいは教訓的」な傾向があると言われています。
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