2025年12月25日木曜日

江戸版と京都(上方)版の主な共通・類似点

 江戸版と京都(上方)版は、それぞれ地域独自の文化や価値観を反映しているため、大部分が異なります。しかし、中には全く同じことわざや、ほぼ同じ意味のものもいくつか存在します。

主な共通・類似点は以下の通りです。


1. 全く同じもの(文字もことわざも一致)

江戸版と京都版で、文字とことわざが完全に一致しているのは以下の4枚です。

文字ことわざ意味の概要
喉元過ぎれば熱さを忘れる苦しいことも過ぎ去ればその恩や教訓を忘れる。
臭いものに蓋をする都合の悪いことを一時的に隠して取り繕う。
身から出た錆自分の悪い行いによって、自分自身が苦しむこと。
聞いて極楽見て地獄話に聞くのと実際に見るのでは大きな違いがある。

2. 内容・意味がほぼ同じもの

文字が異なっていたり、言い回しが少し違ったりしますが、同じ教訓を伝えているものです。

内容・意味江戸版京都版
努力の積み重ね:塵も積もれば山となる:門前の小僧習わぬ経を読む
身の丈に合う:割れ鍋に綴じ蓋:律義者の子沢山(※誠実さの肯定)
痩せ我慢:武士は食わねど高楊枝:武士は食わねど高楊枝(※共通)
因果応報:楽あれば苦あり:待てば海路の日和あり(※忍耐の肯定)

[!NOTE]

「武士は食わねど高楊枝」については、京都版でも「ふ」の札として採用されている資料が多く、江戸・京都共通の代表的なことわざと言えます。


3. 文字は同じだが「意味」が対照的なもの

同じ文字から始まりますが、江戸と京都で全く異なるアプローチをとっている面白い例です。

  • 「い」の札

    • 江戸:犬も歩けば棒に当たる(行動すれば良いこと・悪いことがある)

    • 京都:一寸先は闇(未来は何が起こるか分からず恐ろしい)

  • 「ろ」の札

    • 江戸:論より証拠(理屈より事実が大事)

    • 京都:論語読みの論語知らず(知識があっても実践できない)

江戸版は「具体的で前向き、あるいは皮肉」、京都版は「仏教的、内省的、あるいは教訓的」な傾向があると言われています。

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