2025年12月25日木曜日

京都(上方)版のいろはかるた一覧

 京都(上方)版のいろはかるたを一覧にまとめました。江戸版と比較すると、より仏教的な教えや、当時の京都・大坂の風習を反映したことわざが多く含まれているのが特徴です。

京都(上方)版いろはかるた一覧

文字ことわざ意味の概要
一寸先は闇未来のことは一寸先のことですら予測できない。
論語読みの論語知らず知識として知ってはいても、実行が伴わないこと。
箸より重いもの持ったことがない苦労知らずで育った、非常に裕福な育ちの例え。
二階から目薬物事が思うようにいかず、もどかしいこと。
仏の顔も三度どんなに慈悲深い人でも、何度も無礼をされれば怒る。
下手の長談義話が下手な人ほど、だらだらと長話をすること。
豆腐に鎹(かすがい)手応えや手応えが全くないことの例え。
知恵ある者は身を食う才能があるがゆえに、かえって災難を招き身を滅ぼす。
律義者の子沢山誠実な人は家庭を大切にするので、子供が多く授かる。
糠に釘何の効き目も手応えもないこと。
留守に見舞う相手がいない時に訪問する。間が悪いことの例え。
をこ(愚か)な者に意見する愚かな者に意見を言っても無駄である。
わらじを履いてから足を洗う物事の順序が逆になっていること。
かったい(癩)の瘡(かさ)恨み自分も欠点があるのに、他人の似た欠点を恨む。
横槌(よこづち)で坊主を打つまともに相手をせず、乱暴にあしらうこと。
立て板に水話し方がよどみなく、滑らかであること。
連理の枝夫婦の情愛が極めて深いこと。
地獄の沙汰も金次第世の中のことは、何事もお金で解決できる。
月とすっぽん比較にならないほど、二つの差が激しいこと。
猫に小判価値のわからない者に、貴重なものを与えても無駄。
習わぬ経は読めぬ練習や経験のないことは、いざという時にできない。
来年の事を言えば鬼が笑う先のことは予測不能で、あれこれ言っても無意味。
むま(馬)の耳に風他人の意見や批判を全く聞き流すこと。
氏より育ち家柄よりも、育てられ方や教育の方が大切である。
鰯の頭も信心からどんなつまらない物でも、信じれば尊く見える。
喉元過ぎれば熱さを忘れる苦しみが過ぎれば、その時の苦労や恩を忘れる。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る時には自分より未熟な者に教えられることもある。
臭いものに蓋をする不都合なことを、一時的に隠して知られないようにする。
闇に鉄砲当たるかどうかわからない、あてずっぽうな行動。
待てば海路の日和あり焦らずに待っていれば、良い機会がやってくる。
下駄を履くまでわからない最後まで結果はどうなるか判断できない。
武士は食わねど高楊枝貧しくても志を高く持ち、誇りを失わない。
後悔先に立たず済んでしまった後で悔やんでも、取り返しがつかない。
得手に帆を揚げる追い風(チャンス)に乗り、得意分野で活躍する。
寺から出る経専門のところから出た話なら、間違いない。
阿弥陀の光も金次第仏の慈悲ですら、お布施の額で決まる。
竿の先に鈴おしゃべりなこと。または騒がしいことの例え。
聞いて極楽見て地獄話に聞くのと実際に見るのでは、大きな違いがある。
幽霊の浜風実体のないもの、頼りないことの例え。
盲(めくら)の垣覗き無駄な努力をすること。
身から出た錆自分の悪い行いによって、自分自身が苦しむこと。
釈迦に説法自分よりもよく知っている人に教える愚かさ。
縁の下の舞誰も見ていないところで努力すること。
貧乏暇なし貧しいので、働いてばかりで休む暇がない。
門前の小僧習わぬ経を読む環境に影響され、自然と知識が身につくこと。
せん(千)栗柿三八年桃栗三年柿八年。物事の成就には時間がかかる。
雀百まで踊り忘れぬ幼い頃に身についた習慣は、死ぬまで変わらない。
京に田舎あり都会の中にも、田舎のような静かな場所がある。

江戸版が「犬も歩けば…」と実利や風刺から始まるのに対し、京都版は「一寸先は闇」という無常観から始まるのが興味深い違いです。

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