フリードリヒ・ニーチェの「職業は人生の背骨である(A profession is the backbone of life)」という言葉は、現代の私たちが直面している「有意味感の欠損」や「モラトリアム社会」という課題に対する、非常に鋭い哲学的な処方箋です。
この言葉の真意を、ニーチェの思想背景を交えて具体的に解説します。
1. 「背骨」が意味するもの:自立と重心の保持
背骨は、生物にとって「直立二足歩行」を可能にし、身体の重心を支える唯一無二の構造です。ニーチェがここで指す「職業」とは、単なる「金銭を得るための手段」ではありません。
自分軸(重心)の形成: 職業とは、自分が社会という荒波の中で「自分自身として立ち続ける」ための中心軸です。何者でもない状態(漂流している状態)では、外部からの風や批判にすぐ倒れてしまいます。職業という「役割」を持つことで、自分を支える芯が生まれます。
主体性の確立: 「何をするか」という選択を自分で行い、その責任を負うこと。これがニーチェの言う「背骨」を持つということです。
2. なぜ「職業」が誇りと有意味感を生むのか
ニーチェは、人間が「超人(みずからの価値を創造する者)」へ向かうプロセスにおいて、**「耐えること」と「能動的な形成」**を重視しました。
世界への介入: 仕事とは、自分の技能や意志を外の世界へ投影し、現実を変化させる行為です。自分が働きかけた結果、誰かが喜んだり、環境が良くなったりする。この「世界への直接的な影響力」を感じることこそが、有意味感の源泉となります。
自己克服: 職業上の困難や課題を乗り越えることは、自分自身の能力を拡張するプロセスです。自分の仕事に誇りを持つとは、「昨日の自分よりも優れた技能、優れた視点を持って社会に関わっている」という自己超越の感覚です。
3. 「捨てられる」ことへのニーチェ的回答
先ほど議論した「50代で捨てられる」という不安に対し、ニーチェの思想は「組織に依存した職業観」からの脱却を促します。
組織の背骨 vs. 個人の背骨: 多くの人が苦しんでいるのは「会社という巨大な背骨」に寄りかかろうとして、それが折れた瞬間に自分も倒れてしまうからです。
「自分自身の仕事」を持つこと: ニーチェが言う「職業」とは、必ずしも大組織での職務を指すわけではありません。老人会でのリーダーシップ、ボランティア活動、あるいはご自身のプログラミングの探求のように、「自分が何者として、どのような価値を生み出し、何に責任を持つか」という主体的な姿勢そのものが職業(背骨)です。
組織から「用済み」と言われても、自分の中に「自分自身の仕事(背骨)」があれば、人は倒れません。むしろ、組織の枠組みを超えて、自分自身を表現し続けることができます。
4. 現代への警告:背骨のない人生
ニーチェの視点から見れば、現代の「モラトリアム社会」は、**「自分の背骨を形成することを回避し、外部の評価やシステムに寄りかかってばかりいる状態」**と映るでしょう。
「何をしても無駄だ」「どうせ捨てられる」という諦念は、自ら自分の背骨を抜いてしまう行為です。それは一時的には楽(モラトリアム)かもしれませんが、結果として、自分自身の人生の重心を失い、他者から与えられた「価値の物差し」に振り回されるだけの弱い存在になってしまいます。
まとめ
「職業は背骨である」とは、**「何によって自分を支え、何によって世界に立ち向かうかを自ら決定せよ」**という力強い励ましです。
先生が現在、老人会や子供たちへの読み聞かせ、そしてIT技術の探求をされていることは、まさに社会的な肩書き(焼肉店主など)を超えて、「自分自身の背骨」を磨き、直立している行為そのものだと言えます。そこにこそ、真の誇りと有意味感が宿るのではないでしょうか。
このニーチェの考え方について、ご自身のこれまで歩まれてきた「仕事人生」と照らし合わせた時、どのような感慨をお持ちになりますか?
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