遣唐使は、飛鳥時代から平安時代にかけて、日本の朝廷が中国の唐王朝へ派遣した国家的な使節です。
いつから始まって、いつまでやったか
- 開始: 舒明天皇2年(630年)に犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)らが派遣されたのが最初とされています。聖徳太子の時代の遣隋使の流れを汲むものです。
- 終了: 寛平6年(894年)に菅原道真の建議により停止されました。唐の衰退や国内情勢の変化などが理由として挙げられます。
何回くらいやったか
- 遣唐使の派遣回数については諸説ありますが、任命された回数としては19回、実際に渡航したのは15~16回程度とされています。航海の困難さから、派遣が中止されたり、途中で断念されたりするケースもありました。
大きな出来事・収穫
遣唐使は、日本の文化、政治、社会に多大な影響を与えました。主な出来事と収穫は以下の通りです。
- 律令制度の導入: 唐の進んだ政治制度である律令制度を学び、日本の国家体制の基礎を築きました。大宝律令などがその成果です。
- 仏教文化の受容: 多くの留学僧が唐に渡り、最新の仏教の教えや文化を学びました。弘法大師(空海)や最澄などがその代表であり、真言宗や天台宗といった新しい仏教宗派の成立に繋がりました。
- 文化・学術の吸収: 唐の豊かな文化や学術、技術を幅広く学びました。建築様式(平城京のモデルとなった長安など)、文学、音楽、絵画、工芸、暦、医学など、多岐にわたる分野で日本の文化水準が向上しました。
- 国際感覚の育成: 唐という大国との交流を通じて、日本の国際的な視野が広がり、東アジアにおける日本の位置づけを認識するきっかけとなりました。
- 人材育成: 留学僧や留学生として派遣された人々は、帰国後、朝廷の中枢で活躍し、日本の発展に大きく貢献しました。吉備真備や阿倍仲麻呂などが著名です。
- 貿易: 文化交流だけでなく、絹織物や香料などの貿易も行われました。
遣唐使の派遣は、危険な航海を伴う大変な事業でしたが、当時の日本にとって、大陸の先進的な文化や制度を積極的に吸収し、国力を高めるための重要な国家プロジェクトでした。その成果は、奈良時代から平安時代の日本の文化や社会の ভিত্তিとなっています。
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