パレスチナの歴史は、その地理的重要性と「聖地」としての性格から、世界史の中でも特に複雑で、多くの民族や帝国が支配権を争ってきた地域です。紀元前から現在に至るまで、様々な文明や宗教が交錯し、その痕跡を残しています。
以下に、その歴史を具体的に詳しく解説します。
古代パレスチナ(紀元前3000年頃〜紀元前1世紀)
- カナン人時代(紀元前3000年頃〜):
- パレスチナという地は、古くは「カナン」と呼ばれ、紀元前3000年頃から青銅器文化が栄え、カナン人が都市国家を形成していました。彼らは地中海貿易に従事していました。
- エジプト支配(紀元前15世紀頃〜):
- 紀元前15世紀頃には、エジプト新王国のファラオ・トトメス3世が進出し、メギドの戦いに勝利して以来、エジプトの支配下に置かれました。
- ペリシテ人とイスラエル人:
- 「パレスチナ」という名前は、紀元前13世紀頃に沿岸部に住み着いた「ペリシテ人(Philistines)」に由来するとされています。彼らは独自の文明を築きましたが、民族集団としては後に滅びました。
- 紀元前10世紀頃には、イスラエル民族がエルサレムを中心にイスラエル王国を建設し、繁栄しました。
- 紀元前930年頃には、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂。イスラエル王国は紀元前722年にアッシリアに、ユダ王国は紀元前587年に新バビロニア王国に滅ぼされ、ユダヤ人は「バビロン捕囚」を経験します。
- ペルシア、ギリシア、ローマの支配:
- バビロニアの次はアケメネス朝ペルシア、その後アレクサンドロス大王によるギリシア(ヘレニズム諸国)、そして紀元前1世紀にはローマ帝国の支配下に入ります。
- 紀元6年にはユダヤ属州となり、ローマ総督ポンティウス・ピラトがイエスを処刑したとされます。ユダヤ人は1世紀から2世紀にかけてローマに対する反乱(ユダヤ戦争)を繰り返しますが、鎮圧され、70年にはエルサレムが陥落します。これにより、多くのユダヤ人が離散(ディアスポラ)することになりました。
中世パレスチナ(395年〜1517年)
- ビザンツ帝国(東ローマ帝国)支配:
- ローマ帝国の東西分裂後、パレスチナは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下に置かれ、キリスト教の聖地として発展しました。
- イスラム帝国の征服(7世紀):
- 7世紀(638年)にアラブ・イスラム帝国がエルサレムを征服し、この地域はイスラムの支配下に入ります。以後、パレスチナはアラブ化・イスラム化が進み、アラビア語が主要言語となります。イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が共存する多文化社会が形成されました。
- 十字軍時代(11世紀末〜13世紀):
- 11世紀末、ヨーロッパのキリスト教徒が聖地奪還を目指して十字軍を派遣し、パレスチナにエルサレム王国などの十字軍国家を建設しました。しかし、12世紀末にはアイユーブ朝のサラーフッディーンによってエルサレムが奪還され、最終的に13世紀には十字軍は完全に駆逐されました。
- マムルーク朝支配(13世紀〜16世紀):
- 十字軍撤退後、エジプトを拠点とするマムルーク朝の支配下に入ります。
オスマン帝国支配時代(1517年〜1918年)
- オスマン帝国の統治:
- 1517年、オスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼし、パレスチナはオスマン帝国の一部となります。約400年間にわたり、オスマン帝国の属州として比較的安定した時代が続きました。この間、パレスチナには多様な宗教的・民族的背景を持つ人々が共存していました。
- シオニズムの台頭(19世紀後半):
- 19世紀後半、ヨーロッパで高まる反ユダヤ主義(アンチセミティズム)への対抗として、ユダヤ人がパレスチナに民族国家を建設しようとする「シオニズム」運動が活発化します。
- 1897年に第1回シオニスト会議が開催され、ユダヤ人のパレスチナへの移住が始まります。これにより、パレスチナの土地購入が進みました。
20世紀前半:イギリス委任統治と二枚舌外交
- 第一次世界大戦とイギリスの三枚舌外交:
- 第一次世界大戦中、イギリスはオスマン帝国支配下のアラブ地域を巡って、複数の相反する約束をしました。
- フセイン=マクマホン協定(1915年): イギリスはメッカのシャリーフ(アラブ指導者)フセインに対し、オスマン帝国打倒に協力すればアラブ独立国家の建設を支援すると約束しました(ただし、パレスチナの範囲については曖昧な点がありました)。
- サイクス=ピコ協定(1916年): イギリスとフランスがオスマン帝国領のアラブ地域を秘密裏に分割統治することを約束しました。パレスチナは国際管理地域とする案もありましたが、後にイギリスの管理下に置かれることになります。
- バルフォア宣言(1917年): イギリス外相バルフォアが、ユダヤ人のパレスチナにおける「民族的郷土(national home)」建設を支持すると表明しました。これはユダヤ人の協力を得るためでした。
- これらの約束は互いに矛盾しており、後のパレスチナ問題の根源となります。
- 第一次世界大戦中、イギリスはオスマン帝国支配下のアラブ地域を巡って、複数の相反する約束をしました。
- イギリスの委任統治(1922年〜1948年):
- 第一次世界大戦後、オスマン帝国は解体され、国際連盟の決定により、パレスチナはイギリスの委任統治領となります。イギリスはバルフォア宣言に基づきユダヤ人のパレスチナ移住を奨励したため、ユダヤ人の人口が急増し、アラブ人との間で緊張が高まりました。
- 1936年にはアラブ人の大規模な反乱(アラブ大反乱)が勃発し、イギリスはユダヤ人とアラブ人の対立の深刻さに直面します。
現代:イスラエル建国とパレスチナ問題
- 国連パレスチナ分割決議(1947年):
- 第二次世界大戦後、ホロコーストを経験したユダヤ人による国家建設の機運が高まりました。
- イギリスは統治能力の限界を感じ、パレスチナ問題を国連に付託します。国連はユダヤ人とアラブ人の両方に国家を建設させるため、パレスチナをアラブ人国家、ユダヤ人国家、そして国際管理下のエルサレムに分割する決議を採択しました。
- イスラエル建国と第一次中東戦争(1948年):
- 1948年5月、イギリスの委任統治終了直後、ユダヤ人はイスラエルの建国を宣言します。これに反発したアラブ諸国(エジプト、シリア、ヨルダン、イラク、レバノンなど)がイスラエルに侵攻し、第一次中東戦争(アラブ・イスラエル戦争、またはナクバ=大災厄)が勃発しました。
- この戦争の結果、イスラエルは国連決議で与えられた領土より広い範囲を占領し、約70万人以上のパレスチナ人が難民となって故郷を追われました。
- 中東戦争の勃発とパレスチナ解放機構(PLO)の結成:
- 1956年の第二次中東戦争(スエズ危機)、1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)、1973年の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)と、その後も中東戦争が繰り返されました。
- 特に六日間戦争では、イスラエルがヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島を占領し、現在の占領地の問題につながります。
- 1964年、パレスチナ人の民族自決権を主張し、イスラエルに対する抵抗運動を行う組織として**パレスチナ解放機構(PLO)**が結成されました。ヤーセル・アラファトが指導者となり、国際的な認知を得ていきました。
- インティファーダ(民衆蜂起):
- イスラエルの占領下での生活に苦しむパレスチナ人による民衆蜂起「インティファーダ」が1987年に始まり、国際社会の注目を集めました。
- オスロ合意とパレスチナ自治政府(1993年):
- 1993年、アメリカの仲介により、イスラエルとPLOの間で「オスロ合意」が締結されます。これにより、PLOはイスラエルの存在を承認し、イスラエルはPLOをパレスチナ人の正当な代表と認めました。
- ガザ地区とヨルダン川西岸地区の一部にパレスチナ自治政府が樹立され、限定的な自治が始まりました。これにより和平への期待が高まりました。
- 和平プロセスの停滞とハマスの台頭:
- オスロ合意後も、イスラエルの入植活動の継続、エルサレムの地位、難民帰還権などの問題が未解決のままで、和平プロセスは停滞しました。
- 2000年には第2次インティファーダが勃発し、状況は悪化します。
- 2006年のパレスチナ評議会選挙で、武装闘争を掲げるイスラム主義組織ハマスが勝利し、パレスチナ自治政府内でファタハ(PLO主流派)との対立が激化しました。
- 2007年以降、ハマスがガザ地区を実効支配し、ファタハを主体とするパレスチナ自治政府がヨルダン川西岸地区を統治するという分断状態が続いています。
- 現在の状況:
- ガザ地区はイスラエルによって封鎖され、人道状況は悪化しています。
- ヨルダン川西岸地区では、イスラエルの入植活動が継続しており、パレスチナ国家の樹立に向けた二国家解決は依然として困難な状況にあります。
- 度々、ガザ地区を巡るイスラエルとハマスの大規模な武力衝突が発生し、多数の死傷者が出ています。特に2023年10月以降の紛争は、未曽有の規模で壊滅的な被害をもたらしています。
- 国連をはじめとする国際社会は、公正で永続的な平和の実現を目指し、二国家解決(イスラエルと独立したパレスチナ国家の共存)を支持していますが、その道のりは依然として遠いものとなっています。
パレスチナの歴史は、古代からの定住、様々な帝国の支配、そして近代以降のシオニズムとアラブ民族主義の衝突、さらに国際社会の介入が複雑に絡み合って形成されてきました。この地域が抱える問題は、単なる領土紛争に留まらず、歴史的経緯、宗教、民族のアイデンティティが深く関係していることが理解されます。
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