「初心忘るべからず」という言葉は、現代では「始めたばかりの時の、あの新鮮で謙虚な気持ち(やる気)を忘れてはいけない」という意味で使われることがほとんどですよね。
しかし、能楽の大成者である世阿弥(ぜあみ)が、その秘伝書『花鏡(かきょう)』(※『風姿花伝』ではなく、晩年に書いた『花鏡』の結びに登場します)で説いた本来の意味は、単なる「初心のフレッシュな気持ち」のことではありません。
世阿弥がこの言葉に込めた本当の恐ろしさと、奥にある深い意味を具体的に解説します。
1. 世阿弥の言う「初心」とは何か?
世阿弥のいう「初心」とは、気持ちのことではなく、「未熟さ、格好悪さ、失敗したときの苦い経験」そのもののことです。
若い頃や、新しいことに挑戦したばかりの時は、誰でも下手くそで、失敗し、恥ずかしい思いをします。世阿弥は、その「自分の未熟で惨めだった姿(ステージ)」を絶対に忘れるな、と言っているのです。
なぜなら、自分の未熟な過去を忘れてしまうと、「自分はもうベテランだ」「完璧にできる」と過信し、慢心が生まれて成長が止まってしまうからです。
2. 終生にわたる「3つの初心」
世阿弥は、この「初心忘るべからず」を、人生のステージに合わせて3つの段階に分けて説明しています。ここがこの言葉の最も深い部分です。
① 是非初心忘るべからず(若い頃の初心)
若い頃の未熟な芸、失敗した恥ずかしい経験をしっかり覚えておきなさい、という意味です。
奥にある意味: 「あの頃の格好悪さがあるからこそ、今の自分の進歩がある。過去の未熟な自分を基準(ものさし)として持ち続けることで、自分がどれだけ成長したかを正しく測り、慢心を防ぐことができる」ということです。
② 時々の初心忘るべからず(その時々の初心)
歳を重ねてベテランになっても、その年齢ごとに「初めて経験するステージ」がある。その時の未熟さを忘れるな、という意味です。
奥にある意味: 40代には40代の、50代には50代の、その年齢にふさわしい新しい演技や生き方(挑戦)があります。「もうベテランだから」と昔のやり方にしがみつく(現状維持バイアスに陥る)のではなく、「その歳になっても、新しいことに対しては自分はいつでも初心者である」という自覚を持ちなさい、と説いています。
③ 老後の初心忘るべからず(老後の初心)
高齢になって、体力が衰えた時期に迎える「初めての初心」です。
奥にある意味: 「歳をとって昔のような激しい動きができなくなった時、今の自分にしかできない枯れた渋い演技(老後の芸)に初めて挑戦することになる。その老いた身体で手探りする時の未熟さや、上手くいかない格好悪さから目を背けず、それを新しい初心として受け入れなさい」ということです。
🎯 まとめ:世阿弥が伝えたかった本当のメッセージ
世阿弥が言いたかった「初心忘るべからず」とは、
「人間は、生涯を終えるその瞬間まで、常に新しい挑戦の連続であり、ずっと未熟な『初心者』の時期を繰り返し続ける生き物なのだ。だから、自分の未熟さを恥じて隠したり忘れたりせず、それを成長のエネルギーに変え続けなさい」
という、非常に厳しくも、人間の無限の可能性を信じた「生涯現役・生涯学習」の精神です。
何かを長く極めていく中で、現状維持に満足しそうになった時や、年齢を理由に守りに入りそうになった時にこそ、この言葉の本当の重みが胸に響いてきます。
【世阿弥の教え コピー用テキスト】
世阿弥の「初心忘るべからず」の真意:
1. 【初心の定義】新鮮な気持ちではなく、「自分の未熟さや失敗の苦い経験」のこと。
2. 【存在意義】過去の格好悪い自分を覚えておくことで、慢心を防ぎ、成長の基準にする。
3. 【生涯の心得】若者だけでなく、中高年も、老後も、その年齢ごとに訪れる「新しい未熟さ(初心)」を恐れずに受け入れ、死ぬまで挑戦を続けよ。
(和歌や伝統芸能、あるいは日々の学びの心得としてノートにまとめる際の素材に、コピーしやすいテキストボックス形式にしています。ぜひお手元でお役立てください。)
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