アパルトヘイト(Apartheid)とは、アフリカーンス語で「分離・隔離」を意味し、南アフリカ共和国で1948年から1994年まで法制化されていた人種隔離・差別政策です。
人口のわずか10%程度であった白人少数派が、約80%を占める黒人を含む非白人を支配・搾取するために強行した極端な社会体制でした。
1. 人種の4分類
政府は1950年の「人口登録法」により、全国民を以下の4つの人種カテゴリーに分類し、IDカード(身分証明書)の携帯を義務付けました。
- 白人(Whites):
政治・経済の全権力を握る層。 - 黒人(Native / Africans): 最大多数派でありながら最も激しく権利を奪われた層。
- カラード(Coloured):
混血住民の層。 - アジア人(Asians):
主にインド系住民の層。
2. 具体的な差別法と生活への影響
日常・住居・経済など、あらゆる面で差別が法制化されていました。
① 住居と土地の奪い合い(グループ領域法・土地法)
国土の約87%の豊かな土地を白人専用とし、黒人には残りの約13%の荒廃した土地(バンツースタン/バントゥースタンと呼ばれる「黒人ホームランド」)が割り当てられました。都市部で働く黒人は「ソウェト」などの都市郊外の貧民街(タウンシップ)に追いやられました。
② 移動の制限(身分証・通行法)
黒人は「身分証明書(パス手帳)」の携帯が常時義務付けられ、所持していない場合や白人地域への不法滞在とみなされた場合は即座に逮捕・投獄されました。
③ 公共施設の隔離(分離施設法)
バス、列車、ベンチ、トイレ、公園、病院、学校にいたるまで「白人専用(Whites Only)」と「非白人専用」に厳密に分けられ、白人側の施設の方が圧倒的に高品質でした。
④ 婚姻と性交渉の禁止(雑婚禁止法・背徳法)
異人種間の結婚や恋愛関係、性交渉は法律で禁止され、違反者は刑事処罰の対象となりました。
⑤ 劣悪な教育と経済格差(バントゥー教育法)
黒人教育は「白人に従属する労働者を作るための最低限の内容」に制限され、高度な学問や技術を学ぶ機会が奪われました。労働組合の結成や高賃金職種への就労も著しく制限されました。
3. 反対運動と廃止への道のり
国内の抵抗運動
アフリカ民族会議(ANC)などを中心に、ネルソン・マンデラらが非暴力・抗議運動を展開しました。しかし、政府は1960年の「シャープビル虐殺事件」などを経て運動を非合法化し、マンデラらを逮捕(国家反逆罪等で終身刑)して激しく鎮圧しました。
国際社会からの孤立と制裁
1970年代から80年代にかけて、国連による武器輸出禁止や経済制裁、IOC(国際オリンピック委員会)からの除名など、世界的なボイコット運動が激化しました。
制度の終焉(1990年代)
内外からの圧力と国内の暴動増加により白人政権は維持不能に陥りました。
- 1990年:
デクラーク大統領がマンデラを27年ぶりに釈放し、ANCの非合法化を解除。 - 1991年:
アパルトヘイトの主要根拠法が相次いで廃止される。 - 1993年:
マンデラとデクラークにノーベル平和賞が授与される。 - 1994年4月: 全人種が参加する初の全人種民主選挙が実施され、ネルソン・マンデラが初の黒人大統領に就任。アパルトヘイトは完全に終焉を迎えた。
4. 廃止後の課題(現代への影響)
制度としての制度的差別は廃止されましたが、長年蓄積された経済的格差(白人層と黒人層の所得差、高い失業率、貧民街の住環境問題など)は現在も南アフリカの深刻な社会課題として残っています。